お祭りの衣装として馴染みのある「半纏」ですが、実はほかにも袢纏・半天・伴天…といった複数の漢字が使われていることはご存じでしょうか?
「同じ“はんてん”という読みなのに、どうして漢字に違いがあるの?」
「正しい表記はどれ?」
「半纏と法被の違いは?どてらやちゃんちゃんこは?」
…といった疑問をお持ちの方に向けて、今回は日本の伝統着の一つである「半纏」について、漢字表記の違いや、法被・どてら・ちゃんちゃんこ…などの似ている衣類との違いについて解説。半纏の歴史や文化をより深く知るための豆知識をまとめていきますので、ぜひ最後までご覧ください。
目次
そもそも「はんてん」ってなに?
袢纏・半纏・半天・伴天…など、さまざまな漢字で表記されている「はんてん」。この「はんてん」は、仕事着や防寒着、祭りの衣装などとして、日本で古くから着用されている伝統的な和装の一つです。
この「はんてん」の始まりは、江戸時代ごろ。主に武家などで着用されていた「法被(はっぴ)」から生まれたものだとされています。
もともと法被は、大名や武士などが家紋などを入れ、礼装として着物の上に羽織っていたのですが、それが庶民にも浸透。その後、幕府によって身分にそぐわない服装を禁止する奢侈禁止令(しゃしきんしれい)が発令されたことにより、庶民用の羽織として生まれたのが「はんてん」です。
「袢纏」?「半纏」?どうして漢字に違いがあるの?

この「はんてん」と呼ばれる衣類には、「半纏」・「袢天」・「袢纏」・「伴天」・「半天」・「半丁」…といったように、さまざまな表記がありますが、どのような違いがあるのか、皆さんはご存じでしょうか?
「はんてん」を表す漢字の移り変わりには諸説ありますが、ここでは代表的なものをまとめていきます。
始まりは「半丁」
一説によると、「はんてん」という呼び名は、もともと羽織の形状が“袖が半分=半丁”だったことから、「半丁(はんてん)」と呼ばれるようになったと言われています。
その後、その「半丁=はんてん」という読みをもとにして、「半天」という当て字へと変化していったようです。
「袢纏」・「袢天」・「伴天」・「半纏」などへと変化
「半丁」や「半天」という漢字が使われていた「はんてん」ですが、さまざまな意味を加えながら漢字表記も変化していきます。
例えば、当て字であった「半天」に“纏う(まとう)”という意味が加わって「半纏」という漢字に変化したり、着物を着る際に肌着として着用される“肌襦袢”から変化して、「袢纏」や「袢天」・「伴天」などの漢字になるなど、「はんてん」は時を経ながら、さまざまな表記が生まれていったのです。
一般的な表記は「半纏」、正しい表記は「袢天」
「半丁」という漢字から、枝葉のように表記のバリエーションが増えていった「はんてん」。インターネットで検索してみると、「半纏」・「袢纏」・「伴天」・「半天」・「半丁」…など、さまざまな表記が使われていますが、染物業界において正しいとされる表記は「袢天」です。
しかし、「袢天」が正しい表記だとされる一方で、皆さんが一番目にする漢字は「半纏」かもしれません。
というのも、パソコンやスマートフォンが普及した現代においては、漢字が変換しやすいという理由から「半纏」という表記が一般的になっているから。ユーザーの検索しやすさを優先し、現代においては「半纏」という漢字が一般的な表記となっています。
半纏・法被・どてら・ちゃんちゃんこの違いは?

ここまで半纏の歴史や漢字表記の違いについてまとめてきましたが、この半纏とよく比べられるのが、法被やどてら、ちゃんちゃんこなどの衣類です。どれも形状が似ているので、「何が違うのか、詳しくは説明できない…」という方も多いのではないでしょうか?
そこで、ここからは半纏とあわせて法被・どてら・ちゃんちゃんこ、それぞれにどのような違いがあるのか詳しくまとめていきます。
法被
「法被」は、もともと上級階級が家紋を入れて礼装として羽織っていた着物の一つ。庶民用の半纏のもとになった衣類でしたが、江戸末期ごろにはその区別がなくなったそうです。
現代において、「法被」と言うと “祭りの衣装”をイメージする方も多いかもしれませんが、このイメージが定着したのは昭和45年に開催された大阪万博だと言われています。大阪万博のイベント用の衣装として法被をしようしたことで、「祭りやイベントの衣装といえば法被」というイメージが、令和の今でも引き継がれています。
半纏
上流階級が着用していた法被がもとになって生まれたのが、「半纏」です。前述の通り、今では法被とほぼ同じものとして扱われますが、地域によって呼び方に違いが出ることもあります。
- ・神輿を担ぐ東日本では「半纏」
- ・山車を引く西日本では「法被」
諸説ありますが、この境界線となるのが静岡県の大井川だと言われています。この大井川を境にして、神輿を担ぐ東日本では「半纏」、山車を引く西日本では「法被」と呼ぶ傾向があると言われています。
なお、この半纏に綿を入れたものは「綿入れ半纏」といい、冬の防寒着として着用されます。
どてら
関東地方では「丹前」とも呼ばれている「どてら」は、和服の上に着用する防寒着のこと。
このどてらには、綿入れ半纏と同じように中に綿が入っており、丈は膝下で羽織りやすいように袖も広めの作りになっています。その保温性の高さから掛け布団の代わりとして用いることがある点も、ほかとは違う特徴の一つ。旅館などでは湯上りに着る着物として用意されていることも多いので、冬に旅館で着る着物というイメージを持つ人も多いかもしれません。
ちゃんちゃんこ
ちゃんちゃんこも、綿入れ半纏やどてらと同じく、綿が入っている防寒着の一つ。形状の違いを挙げるとすれば、袖無しの羽織であるという点です。
袖がないため腕が動かしやすく、子供の防寒着として着用されるほか、還暦祝いに着る“赤いちゃんちゃんこ”のように、長寿祝いに用いられることもあります。
違いを知って自分に合った半纏を!
今回は、「半纏」・「袢天」・「袢纏」…など漢字表記の違いや、似ている衣類との違いについてご紹介してきました。どうして同じ「はんてん」という言葉にいろいろな表記が存在しているのか、また、どうして「半纏」という漢字が一般的なのか…など、知れば知るほど半纏の成り立ちに興味が出てきたのではないでしょうか?
祭りの衣装や仕事着・防寒着・晴れ着としてなど、幅広い分野で親しまれている「半纏」。皆さんも日本の伝統着として愛されている半纏をこだわって作ってみませんか?
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