明治22年、「大日本帝国憲法」が発布されました。旧岩淵本宿の先人はそれを記念して、氏神である八雲神社に大幟を奉献することを決めます。そして明治維新で江戸の町を戦火から守った勝海舟を赤坂の住まいに訪ね、幟に揮毫を依頼しました。旧岩淵本宿は徳川将軍が日光参詣をするときに行列が通った日光御成道の第一の宿で、荒川を渡った川口には、大奥最後の御年寄瀧山が暮らしていたことから、幕臣の海舟とはつながりがあったと考えられています。海舟はこの申し出を快く受け入れ筆を執ってくれたと伝わります。
海舟の大幟は、高さが15.3メートル、幅2.15メートルの大変に大きなもので、昭和五十年代までは祭りの時に本殿の脇に掲げていました。しかし強風にあおられて幟が倒れる事故があり、その後は神輿蔵に納められたままでした。
この神社と地元の宝である勝海舟真筆の幟を活かそうと、八雲神社の氏子が、海舟の書を忠実に再現したレプリカの幟の作成を水野染工場に注文し、現在はこのレプリカの幟を神社の祭事の際に掲げています。
八雲神社と水野染工場とのご縁はその後も続きます。
大正12年9月1日東京を襲った関東大震災で八雲神社は社殿が倒壊してしまいます。その後氏子たちは社殿を再建しようと寄進をつのり、昭和2年に現在の社殿が完成します。令和8年2026年が社殿再建から100年にあたることから、神社ではこれを記念した手拭いを作成することを決め、水野染工場にデザインを含めて作成を依頼しました。
八雲神社には江戸の三大石工の一人、井亀泉(せいきせん)の名で知られた酒井八右衛門の作の立派な狛犬があります。手拭いはこの狛犬を大きく前面に出してその後ろに社殿が控えるイメージのデザインにしてほしいと依頼をし、神社の手ぬぐいらしからぬ素晴らしいデザインの手拭いを作っていただくことができました。
マンションが増え移住してきた若い住民が増える中で、神社の幟や手拭いは町の歴史をつないでいく大切なアイテムであり、作成していただいた水野染工場に感謝をしています。






